「2050年には、こうありたい」
約30年後の未来を、若手社員たちが本気で考えた。
それは、どんなプロジェクトだったのか!?
ちょっと珍しい、2050年プロジェクト『Atelier2050』の全貌と、その後。
お話しします。

2021年から22年にかけて日産化学で行われた「2050年プロジェクト」。それは、各部署から選ばれた7人のメンバーが、約30年後の2050年に向けて、会社や自分たちの目指すべき姿を考察し提案したプロジェクトです。
若手社員が、未来の会社や事業について議論したり、その成果を社内に発表したりすること自体は、他の企業でも行われており、さほど珍しい話ではありません。しかし、この日産化学の「2050年プロジェクト」は、そうしたよくあるものとはちょっと異なっていました。それは、若手社員が本気で“未来を創る”ものだったのです。
このプロジェクトは、メンバー自身によって、『Atelier2050』と名づけられました。その全貌と、その後をご紹介します。

他の企業でも行われる
一般的な若手プロジェクトと、
日産化学の「2050年プロジェクト」
の違いとは?

他企業の一般的な若手プロジェクトと、日産化学の「2050年プロジェクト」は、
どのように違うのか、比較しながら見てみましょう。

期間が圧倒的に長い。

他企業の一般的なプロジェクト
例えば「合宿形式で2日間」など、短期間のものが多いようです。
日産化学の2050年プロジェクト
約9カ月間もの長い期間をかけてじっくりと取り組みました。その期間、メンバーは、業務と両立させながら、本気で“日産化学と自分たちのこれから”を考えました。

若手社員だけで行う。

他企業の一般的なプロジェクト
ナビゲート役としてキャリア豊かな管理職社員が入ることが多く、外部の専門家(コンサルタント)が入ってファシリテートすることもあります。
日産化学の2050年プロジェクト
何から何まで社内の若手社員が行いました。プロジェクトの中間報告にて、役員とディスカッションすることやアドバイスを受けることはあったものの、ああしろこうしろという指示はありません。すべては若手社員たちに任されました。

かなり先の未来「2050年」を、精緻に考察する。

他企業の一般的なプロジェクト
未来をテーマにする場合は、漠然とした夢や希望を話し合うものとなることが多いようです。
日産化学の2050年プロジェクト
2050年というかなり先の未来をターゲットにしながらも、精緻に考察し、議論をして提案をつくりました。「“未来”の話なのに、“精緻”に考える」のが特徴でした。

経営陣に提案し、実際に経営計画に組み込まれる

他企業の一般的なプロジェクト
アウトプットはそれなりに公表されても、提案レベルで終わることが多いようです。
日産化学の2050年プロジェクト
アウトプットを経営陣に対してプレゼンテーションし、経営陣も提案内容を真剣に検討し、実際に長期経営計画に盛り込みました。

つまり「2050プロジェクト」は、9カ月間もの長い期間をかけて、一切合切を若手社員が行い、未来について精緻に考察・議論し、経営陣に提案し、経営計画に組み込まれる、というプロジェクトだったのです。
もう一つ、「2050年プロジェクト」ならではの特徴がありました。それは

メンバー自身が、プロジェクトに命名する。

プロジェクト進行中には「2050年プロジェクト」という暫定の名称で呼ばれていたこのプロジェクトを、
参加メンバーたちが『Atelier 2050』と名づけました。(その命名のウラ話は、また後ほど)

どうして、日産化学の若手社員は、
こうしたプロジェクトで存分に力を発揮することのできるのか?

若手社員たちがそうした素地を養う機会として「セルフスタート研修」の存在があります。
入社後に若手社員全員が取り組む研修で、主体的に考える力や、それを実行する力、
発信する力を身につける研修です。

[未来を創る] セルフスタート研究を通じて新製品開発に取り組む若手社員を紹介
[コーポレートサイト] 人材育成のページでセルフスタート研修を紹介

プロジェクトは、どう進んで、
どうなった?

参加したメンバーは?

30歳前後で、入社7年から9年程度の社員、7人。
職種では、研究職5人、生産技術職1人、事務系1人。部署では、物質科学研究所2人、材料科学研究所2人、生物科学研究所1人、本社2人。男性6人、女性1人。そんな構成でした。

何の目的で?

目的は、「未来を切り拓く企業として新長期計画および次期中期計画に反映していくために、視座を2050年において、若手社員の視点で2050年のビジョンを描くこと」。
役員や幹部社員が描くのではなく、外部コンサルタントやシンクタンクに委託して描いてもらうのでもなく、これから会社の中心になっていく若手社員が描く。主体的に提案することを尊重する日産化学の姿勢があらわれたプロジェクトでした。

何を話し合った?

2050年に日産化学はこうありたいという姿を描くために、「2050年に社会はどうなっているのか。人々のニーズは? 企業の役割は? 化学業界の変化は?」などを、多様な領域にわたって調べ、仮説を立てて検討を繰り返しました。
その上で、2つのことを大切にしました。
1つめは、“日産化学らしさ”。どこの会社でも描けるビジョンでは、このプロジェクトの意義が薄くなってしまいます。日産化学らしい、日産化学ならではのビジョンを描くことを目指しました。
2つめは、“メンバーそれぞれの2050年の理想像”。その時、どんな生活をしていたいのか。その時に成し遂げていたいことは何か。このメンバーならではの思いも大切にして、このメンバーだからこそのビジョンを描こうとしたのです。

メンバーそれぞれが調べたり考えたりした“未来”を持ち寄って、部署を超えてフラットに議論する。それを毎週のように繰り返し、ミーティングを重ねました。

そうした中で、メンバーそれぞれの個性が発揮されました。7人は、専門分野もこれまでの経験も違う上、タイプもさまざまです。多彩な発信をするのが得意な人、意外な意見を持ち出して突破口になる人、ある分野について詳しい知識を持ち合わせた人、行動が早くて新しい情報を取ってくる人、じっくり意見を聞いて構築するのに長けた人……。議論の繰り返しの中で、それぞれの得意技が明らかになり、それらがパズルのように組み合わさって形になっていったのだと彼らは語ります。

その話をどうまとめた?

多くの多様な材料を集めた後、メンバーには、どういう視点で何を大切にしてまとめるのかが問われました。メンバー全員が共通で納得できるものを選び、提案の形にまとめていきますが、そのまとめ方にも苦労がありました。
H.Y.「最初の中間報告の時、役員に説明したのですが、“あれ? なんか伝わってないぞ”と思ったんです。我々が長い期間かけて考え、ようやく腑に落ちたことを、聴く人には短時間で伝わるようにしなければならない。これはたいへんだ、と」
考えや思いは、どうすれば伝えられるのか。メンバーは言葉選びやストーリー作成にも工夫を重ねました。

最終的にどうなった?

「2050年プロジェクト」の開始から9カ月。メンバーは、社長を始めとする役員にプレゼンテーションを行い、ディスカッションを経て、閉会しました。それをもって、プロジェクトは終了したのです。

(その後、彼らがプロジェクトで提案した内容は、長期経営計画に盛り込まれました。
 [4 プロジェクトから、何が生まれた?]で紹介します)

Atelier(アトリエ)に込めた意味は?

命名をしたのも、メンバーでした。『Atelier2050』には、「2050年に向けて、社会のよりよい姿を描くためのAtelierを創りたい」という思いを込めた、とメンバーは言います。
公式には、日産化学を「持続可能な世界を構築する一員として、人々の新たな幸福のカタチに貢献する企業、たゆまぬ化学の変化をデザインする人たちが集うAtelier」と定義しました。
この命名に至るメンバーの声を聞いてみましょう。

Y.T.

この一言のために、めちゃめちゃ時間を使いました。みんなでいろんなアイデアを出したけど、どうしても、これだという案が出ていなかった。『Atelier2050』という案が出てきたときは、みんな、それだー!って。

T.Y.

出てきた時は、フワッとでてきました。それまでに、みんなで話し合った共通認識みが自分の身体に染みついていたので、その蓄積から、出てきた感じでした。

M.K.

「Atelier」という言葉が出てからの、みんなの反応がおもしろかったです。こういう考えを表せるね、こういう意味も込められるね、って次々に意見が出て、みんなの腹にストンと落ちた感じ。それまでに、たくさんの時間を共有して、みんなで考えていたからこそ、納得できたのです。

参加したメンバーは、何に悩み、
何を得られた?

プロジェクトメンバーに聞きました。

2050年のビジョンを提案すると聞いて、最初、どう思った?

K.O.

正直、「2050年って、ずいぶん遠い未来だな」と感じました。でも2050年には自分の子どもが今の自分と同じくらいの年齢になるんです。じゃあ、その時どんな世の中だったらいいのか、どうすればそこに向かっていけるのか、考えてみたいと思いました。

D.S.

普段仕事をする中で、経営者の目線で会社の方向性を考える機会なんて、なかなかありません。若手にそんなチャンスがあるなんてすごいなと思って、「やりたい!」と手を上げました。

「2050年を考えるなんて、ちょっと無理かも!?」みたいな感じになったことは、
ないのですか?

D.S.

いくら調べても考えても「結局、未来なんてわからない」という無力感におそわれることもありました。でも、「誰にも分からないなら、いま自分たちが未来にやりたいと思うことを実現すれば、それが未来になるんだ」と考えるようになりました。

K.O.

行き詰まったことは何度もありました。そんな時に、誰かが良いアイデアを持ち込んでくるんです。私は特に「30年先を考えるには、逆に昔を見てみよう」という意見が持ち込まれたのが新鮮でした。人間は何を考えて何をやってきたんだ?と歴史を巻き戻して考えた。そこから見えてくるものもありました。

T.Y.

単なる未来予測なら世の中にあふれています。それを並べてまとめるだけじゃなくて、日産化学の僕らはどんな未来を考えるのか、が問題。誰かが一つの予測を立てても、メンバーによって、捉え方はぜんぜん違う。それを議論するんですけど、これまでの経験や思いが反映されるから、初めは意見が合わないことも多かった。

難しかったことや、おもしろかったことは?また、この経験から、どんな発見や
気づきがありましたか?

H.Y.

手法としては、フォアキャストとバックキャスト*、両方から考えました。初めは主にフォアキャストで現在から考えていったのですが、どうもそれだけでは、ありたい未来にたどりつかないぞ、と。途中からバックキャストが中心になりましたね。

*フォアキャストは、現在を起点に未来を探索する手法。バックキャストは、あるべき未来像から逆算して考えていく手法。
M.K.

未来について、みんなで調べたり議論したりすると、その意見の数だけ未来があるように思えてくる。未来って無数に存在しているんだと気づきました。その中で、この7人が描きたい未来ってどれなんだ、というのを、ずーっと議論して形づくっていった感じです。

D.S.

いろいろ調べて考える中で、テーマが出てくる。例えば、温暖化を解決したい、それには森林循環が大切だろう、と。でも、そこから、日産化学としてはそれに何ができるのか? それはちゃんと事業になるのか? そのために明日からどうするの?って考えていくのが難しい。夢もいいけど、したたかな戦略も必要だと思いました。

K.O.

新しいアイディアを出すのは、ある意味、怖いんです。否定されるのはイヤですから。でも逆に考えれば、未来の話をしているのに、反対されたり、分からないって言われないなら、それは新しくないわけです。「誰も見たことも聞いたこともないものこそイノベーションだ」という言葉を信じて、頑張って出しました。

今だから言えるウラ話を聞かせてください。

Y.T.

アイデアに詰まった時、天井が高い方が良いアイデアが出るという科学的根拠があるらしい、天井も壁を取っ払おうって誰かが言い出して。外へ出て、青空の下でミーティングをやりました。けど冬で、めちゃめちゃ寒かった(笑)

M.K.

ミーティングが多い時期には、毎日やっている期間があったんです。web会議を何時間も開いていて、業務の都合のついた人が、入れ替わり立ち替わり入る。掲示板も24時間空けていて、思い付いたときに書きこんで、コメントにコメントが重なっていって。効率はよくないのですが、あえてみんな分かって効率悪く、泥くさくやっているところがありました。でも最後にまとめていく時、その泥くさい積み重ねが効いたと思います。

D.S.

長いミーティングで未来のことばかり考えた後に、通常業務に戻って意見を言ったら、部署の皆さんと視点が違っちゃってて、「ああ、D.S.は、また未来へタイムスリップしてきたから、仕方ないね」とか、あきれられてました(笑)。

Y.T.

ミーティングに入っているときに、私の部署に、私あての電話がかかってきたそうですが、同僚が出て「Y.T.ですか?今いません。未来へ行っています」って言ったらしくて。皆さん、イジりながらも気に掛けてくれてたのかな(笑)。

プロジェクトから、何が生まれた?

メンバーは、社長を始めとする役員にプレゼンテーションをしました。
それは、次期経営計画策定プロジェクトによって検討され、長期経営計画に盛り込まれました。そして、2022年5月、長期経営計画『Atelier2050』として正式に発表されました。

その概要は、こちらで見ることができます。
(日産化学コーポレートサイトのIR情報ページへ移動します)

現在は、上場企業の経営計画の一部として、さまざまな判断に使われる重要な資料の一つとなっています。

そして、若手社員たちにとって、9カ月の間“未来へ行ってきた”ことは、それぞれの中に何かを生んだようです。一言ずつ、振り返ってもらいました。

T.K.

普段の業務では、「この案はいいけど、実際にやるのは難しいね」という場面がたびたびあるわけですが、このプロジェクトに参加した後は、「難しいけどやりたい。どうやればできるのか」と考えることが増えました。創造的な気持ちが強くなった気がします。

D.S.

提案は役員の人たちに向けて行ったのですが、その後、部長クラスの方々から個別に連絡をもらったんです。「Atelier2050の資料を見たぞ」と。「あの視点は持ってなかったよ。勉強になった」とか、「気づくきっかけをもらったよ」とか言ってもらって、うれしかった。僕らのやったことが、少なからず影響を与えられたのかな、と。

T.Y.

未来について一生懸命考えたからこそ、今のこの1日がどれほど大切なのかが分かりました。好きなこと、やりたいことに日々こだわり抜く。その積み重ねでしか、望む未来は作れないんだな、と感じています。

K.O.

生物系の研究者である私が、有機や無機、高分子の研究者や本社の人たちと一緒に、こんなに近くでフラットに議論できる。それが楽しかったですね。すごく恵まれているし、いい環境だなって見直しました。

M.K.

とにかくアンテナが広がりました。それまでは自分の専門分野とか、興味がある分野だけを見ていたのですが、プロジェクトに参加して、新聞でそれまでスルーしていたような記事も気になるようになりましたね。

H.Y.

「こういうプロジェクトは、キラキラした感じの、アイディア豊富な人向きだろう、自分たちには難しいのでは」と心のどこかで思っていました。でも、そうじゃなかった。普段、実直に業務に取り組んでいる人たちが考える未来も大切なんだとわかりました。キラキラしてない僕たちにもできたのがうれしかったし、意義があったのかなと思います。

Y.T.

経営トップの方々に話をする機会なんて、これまでほとんどなかったのですが、話をすごくよく聞いてくれるのが印象的でした。「この人たちなら、実際の事業でも、若手が新しい提案をしたら、ちゃんと聞いてくれる」と思いました。だから普段からもっと若手からボトムアップしていきたいな、と思いましたね。

『Atelier2050』を経験した若手社員たちは、現在、それぞれの場所でそれぞれの目標に向かって歩んでいます。

中には、研究所で、『Atelier2050』をきっかけの一つとした研究開発テーマに取り組んでいるメンバーもいます。彼らの挑戦の一つ一つが、“未来のための、はじめて”につながっていきます。

彼らと日産化学は、これから、どんな未来を描いていくのでしょうか。

そして、これを読んでいるあなたは、どんな『2050』へと歩んでいくのでしょうか。

あなたと、それぞれの『2050』について語り合えることを楽しみにしています。