参加したメンバーは?
30歳前後で、入社7年から9年程度の社員、7人。
職種では、研究職5人、生産技術職1人、事務系1人。部署では、物質科学研究所2人、材料科学研究所2人、生物科学研究所1人、本社2人。男性6人、女性1人。そんな構成でした。
何の目的で?
目的は、「未来を切り拓く企業として新長期計画および次期中期計画に反映していくために、視座を2050年において、若手社員の視点で2050年のビジョンを描くこと」。
役員や幹部社員が描くのではなく、外部コンサルタントやシンクタンクに委託して描いてもらうのでもなく、これから会社の中心になっていく若手社員が描く。主体的に提案することを尊重する日産化学の姿勢があらわれたプロジェクトでした。
何を話し合った?
2050年に日産化学はこうありたいという姿を描くために、「2050年に社会はどうなっているのか。人々のニーズは? 企業の役割は? 化学業界の変化は?」などを、多様な領域にわたって調べ、仮説を立てて検討を繰り返しました。
その上で、2つのことを大切にしました。
1つめは、“日産化学らしさ”。どこの会社でも描けるビジョンでは、このプロジェクトの意義が薄くなってしまいます。日産化学らしい、日産化学ならではのビジョンを描くことを目指しました。
2つめは、“メンバーそれぞれの2050年の理想像”。その時、どんな生活をしていたいのか。その時に成し遂げていたいことは何か。このメンバーならではの思いも大切にして、このメンバーだからこそのビジョンを描こうとしたのです。
メンバーそれぞれが調べたり考えたりした“未来”を持ち寄って、部署を超えてフラットに議論する。それを毎週のように繰り返し、ミーティングを重ねました。
そうした中で、メンバーそれぞれの個性が発揮されました。7人は、専門分野もこれまでの経験も違う上、タイプもさまざまです。多彩な発信をするのが得意な人、意外な意見を持ち出して突破口になる人、ある分野について詳しい知識を持ち合わせた人、行動が早くて新しい情報を取ってくる人、じっくり意見を聞いて構築するのに長けた人……。議論の繰り返しの中で、それぞれの得意技が明らかになり、それらがパズルのように組み合わさって形になっていったのだと彼らは語ります。
その話をどうまとめた?
多くの多様な材料を集めた後、メンバーには、どういう視点で何を大切にしてまとめるのかが問われました。メンバー全員が共通で納得できるものを選び、提案の形にまとめていきますが、そのまとめ方にも苦労がありました。
H.Y.「最初の中間報告の時、役員に説明したのですが、“あれ? なんか伝わってないぞ”と思ったんです。我々が長い期間かけて考え、ようやく腑に落ちたことを、聴く人には短時間で伝わるようにしなければならない。これはたいへんだ、と」
考えや思いは、どうすれば伝えられるのか。メンバーは言葉選びやストーリー作成にも工夫を重ねました。
最終的にどうなった?
「2050年プロジェクト」の開始から9カ月。メンバーは、社長を始めとする役員にプレゼンテーションを行い、ディスカッションを経て、閉会しました。それをもって、プロジェクトは終了したのです。
(その後、彼らがプロジェクトで提案した内容は、長期経営計画に盛り込まれました。
[4 プロジェクトから、何が生まれた?]で紹介します)
Atelier(アトリエ)に込めた意味は?
命名をしたのも、メンバーでした。『Atelier2050』には、「2050年に向けて、社会のよりよい姿を描くためのAtelierを創りたい」という思いを込めた、とメンバーは言います。
公式には、日産化学を「持続可能な世界を構築する一員として、人々の新たな幸福のカタチに貢献する企業、たゆまぬ化学の変化をデザインする人たちが集うAtelier」と定義しました。
この命名に至るメンバーの声を聞いてみましょう。
Y.T.
この一言のために、めちゃめちゃ時間を使いました。みんなでいろんなアイデアを出したけど、どうしても、これだという案が出ていなかった。『Atelier2050』という案が出てきたときは、みんな、それだー!って。
T.Y.
出てきた時は、フワッとでてきました。それまでに、みんなで話し合った共通認識みが自分の身体に染みついていたので、その蓄積から、出てきた感じでした。
M.K.
「Atelier」という言葉が出てからの、みんなの反応がおもしろかったです。こういう考えを表せるね、こういう意味も込められるね、って次々に意見が出て、みんなの腹にストンと落ちた感じ。それまでに、たくさんの時間を共有して、みんなで考えていたからこそ、納得できたのです。