Person’s Story社員たちの価値創造

STORY05

ブラジルに現地法人を立ち上げる。
“営業から事業を創る”に挑む事務系社員。

“メーカーの営業”と聞けば、「自分たちの会社でつくった製品を売る」のだから売る製品や売る仕組みは決まっていて、その中で“企画営業”や“提案営業”をおこなうような仕事だろう、と考える人が多いはずだ。
だが、ひと言で“メーカーの営業”といっても、会社によって、その仕事内容には幅がある。中には、“ものを売る”という枠にとどまらず、営業から事業を創り出すような動きをしている営業担当もいる。ここではその一人を紹介しよう。農薬をつくり国内外へと営業・販売する農業化学品事業部の営業担当者、小野である。

PROFILE

小野 聡一郎

農業化学品事業部 営業本部 東京営業部
社会科学系 学士 2009年入社

任された若手社員。

2015年、農業化学品事業部 海外営業部に異動してきて間もない若手社員に、“営業”という枠には収まらないように見える仕事が任された。
ミッションは、南米の現地法人の立ち上げ。主担当に任命されたのは、当時入社6年目の小野聡一郎である。
現地法人を立ち上げるのは会社としての業務、いわゆるコーポレート部門の業務ではないかと思う読者もいるだろう。日産化学がブラジルに設立したのは、農薬の営業販売を主目的とする法人だ。もちろんコーポレート部門の社員も関わるが、主担当は農業化学品事業部 海外営業部の小野だったのである。任された本人はどんな気持ちだったのだろう。
「もちろん不安はありましたけど、ワクワクのほうが大きかったですね。現地法人を立ち上げるなんて仕事は、毎年あるわけではないですから」
といっても、小野は拠点立ち上げのノウハウを持っていない。なにせ海外営業部に異動してきたばかり。海外の事業を経験したことさえなかったのだ。

その時まで日産化学は、南米に現地法人は持たず、本社の海外営業部が、南米で販売代理をしてくれる企業と契約をして折衝し、ときどき本社から社員が出張するスタイルをとっていた。
だが、世界全体で食糧増産が求められ農薬の需要が高まる中、日産化学の農薬の事業においても海外での売上比率が高まっており、とりわけ農業大国であるブラジルやアルゼンチンなどをかかえる南米は、より重要な存在となりつつあった。そこで南米にも現地法人を設立することが決まり、その主担当として小野に白羽の矢がたったというわけだ。

小野は、さまざまな人に話を聞いて情報収集をすることから始めた。
「社内にも、他の海外法人を立ち上げた経験を持つ上司や先輩がいます。とにかく自分には知識も経験もないから、聞くことからでしたね」
小野は、NCE(Nissan Chemical Europe)設立の事例などを参考に、会社の基礎となる定款づくりを進める。相手はラテン気質を持つ国だけに、途中で大きな変更を余儀なくされるなど、紆余曲折はあったが、ようやく会社設立の承認がおりた。トップには、それまで長く日産化学と付き合いがあり日本語や日本文化も知るブラジル在住日系人を招き、またスタッフも数人雇用した。
そして2016年8月、Nissan Chemical Do Brasil(NCB)が営業を始めた。小野は担当として、日本から密に連絡をとり、時にブラジルへ出張をしながら、生まれたばかりの現地法人に関わっていった。

NCBは、ブラジル・サンパウロの近郊都市、ソロカバにある。
左は、オフィスが入居しているビル。右は、オフィスからソロカバ市街を望む。
NCBのメンバーとともに。

「これをやりたいから、行かせてほしい」

ブラジルの現地法人NCBは無事立ち上がり、動き始めてはいたが、小野は日本から関わるだけの動きに不足を感じていた。
「出張に行くこともありましたが、1週間程度の滞在ではできることが限られます。まず、南米という巨大な市場、その現場をよく見たい・深く知りたいという気持ちがありました。そして、自分で立ち上げに関わった会社を軌道に乗せたいし、マーケット開拓もしたい。やりたいことが山ほどありました」
もちろん、そう考えていたのは小野だけではない。会社として、駐在を置くという計画は当初からあり、問題は誰がいつ行くか、ということだった。
小野は言う。「もちろん、置くならば、自分が行きたいと思っていました。ことあるごとに、“こういうことをやりたいから、行かせてほしい”と言っていましたね」アピールが実ったのか、会社設立から約2年が経った頃、小野が駐在員として現地へ赴くことが決定した。

2018年9月、小野はブラジル サンパウロのグアルーリョス国際空港へ降り立った。NCBの一員となった小野は、活動を開始する。
「まずは会社の運営ですね。会社の会計を、外部の会計事務所に頼ってしまっていたところもあり、担当者の教育をおこなうなど、社内でできるように整えていきました。それから営業面。現地の取引先(販売代理店)を訪ねていきました。日産化学の農薬を販売してもらえるように、マーケッターに対して働きかけ、信頼関係を築いていくんです」
小野は、Director (取締役)と、Sales representative-South Americas (南米営業担当者)という2つの肩書きを持ち、動き回る。ブラジルを中心に、アルゼンチン、コロンビア、チリ、ペルーまで足を伸ばすこともあった。
また、日産化学は、ブラジルの農薬製造販売会社であるイハラブラス社と協力体制にあり、資本参加もしている。小野は、日産化学の代表としてイハラブラス社の経営審議会員として経営会議に出席するなど、幅広く活動していく。

イハラブラス社のメンバーとの交流は親密だ。左は研究圃場にて。右は忘年会での一コマ。
ブラジルの農場は広大だ。これは小野自身が移動中に撮影した写真。「取引先を訪ねるときは、クルマで3時間、ただひたすら大豆畑が広がる風景の中を走り続けるようなことが、しょっちゅうでした」という。

ビジネスの芽を現場から見つける。

ブラジルにおける小野の活動の枠は、誰かに決められたものではなかった。彼自身が探し、考えて、枠を広げていった。
その一つが、日産化学が1980年代に自社開発した「タルガ」という除草剤の営業戦略。世界各国で使われてきた農薬だが、南米では長い年月の中で埋もれてしまい、ほとんど売上がなくなっていた。一方、ブラジルでは、新たな抵抗性を持つ雑草が農家を困らせ、問題になっていた。小野たちは、その雑草の駆除にタルガが効果的だと考え、現地販売会社に話を持ちかけた。しかし、マーケッターたちの反応は「今さら農家は、そんな旧い農薬に興味を持たない。売れるわけがない」というものだった。
そこで小野は、NCBの技術担当や日本の研究所と力を合わせて試験をし、その抵抗性雑草にタルガが有効であるというデータをつくって、販売会社に向けて営業戦略のプレゼンテーションを行った。その有効性に驚いたマーケッターたちが販売に本腰を入れると、一転、タルガの売上はみるみるうちに伸び、供給が間に合わないほどの人気製品となったのである。
「もう売れないと諦められた農薬でも、活かせる場所がある。そうしたビジネスの芽は、きっとあちこちにあるんです。それは、現場に行って状況を見て、話を聞いて考えるところから生まれるんだということを、身をもって学ぶことができました」と小野は振り返る。

小野は、旧い農薬を売る仕組みを再構築しただけではなく、新しい農薬の開発にもかかわった。
これまで日産化学の農薬は、まず日本市場向けに開発されてから、海外向けに展開される場合が多かったが、近年では、初めから海外をターゲットにして研究開発される場合も増えている。そのために、日本の研究員が、研究開発途上の化合物をブラジルへ持ってきて、長期滞在しながら研究を続けるようになった。NCBは、そんなコーディネートも始めた。
「研究員と一緒に、ブラジルの圃場へ行って、試験に付き添い、効果を確かめるといった活動もしました。そうした化合物も今後、製品になって市場に出てくるはずです」
会社を立ち上げ、製品を売る仕組みをつくり、新製品開発にも関わる。それが、小野の“営業”なのである。

顧客企業や研究者たちと、圃場巡回や視察旅行にもたびたび出かける。
積極的に交流しながら、関係を構築していく。

手を挙げ続ける。

このように、南米を舞台に、幅広く“営業”をしてきた小野。どのようなキャリアステップを踏めば、このような力を身につけることができるのだろうか。そもそも、どうすれば、こうした仕事にかかわることができるのだろうか。

もともと小野は、入社時、「最初は工場に勤務してものづくりを知りたい。そして、いずれ海外に行きたい」という希望を提出したという。
最初に配属になったのは富山工場。「約1,000人が働いている工場で、どんな人たちが、どんな想いで製品を創っているのか。2年間、人事と労務管理を担当したのですが、一番近くで見ることができました」

希望どおりに、ものづくりの現場を体験した小野は、その後、農業化学品事業部の営業企画に異動となった。そこでは、農薬の在庫削減というテーマに取り組んだ。
「まだ私も若く経験不足で、なかなか難しかった。どうやって人を巻き込んで、動かすか、やりながら学んでいきました」
テーマを与えてくれた上司から、「何かを変えようと思ったら、仕組みを変えなければならないが、それだけでは人は動かない。人の意識をも変える仕組みが必要だ」とアドバイスを受けた小野は、営業担当が参加する新たな売上予測の管理システムと、その運用方法をつくりあげた。人の意識を変える仕組みをつくり、着実な在庫削減を実現したのである。
だが、なぜ、そうした重要な業務が小野に任せられたのか。
「営業企画に異動してきて、しばらく経ったときに、上司から“仕事はどうだ?”と聞かれたんですよ。当時の私は、数字のとりまとめの仕事に忙殺されていたので、“私は企画の仕事をせずに、作業だけをしています。仕事をさせてほしい”と言ったんですよ。今思えば生意気な若手ですよね(笑)」
するとしばらくして、「在庫削減というテーマにトライしてみないか」と声をかけられたのだという。やはり、アピールすることが大事なのだろうか。
「いつも、やりたい、と手を挙げ続けてきたのは事実です。でも、どうだろう、実際のところは、人が少ないからかも(笑)。就活の時、日産化学の事務系社員は少数精鋭だと聞き、“それならやりがいのある仕事を任せてもらえるはずだ”と思って入社を決めましたが、ねらい通りだったかもしれないですね」

新たな“営業から事業を創る”へ向かって。

世界中にコロナ禍が拡大していた2020年3月、日産化学は全拠点の駐在員を日本に帰国させた。小野もブラジルから日本へ引き揚げた。しばらくの間は、日本からオンラインでブラジルへ関わり続ける期間が続いたが、コロナ禍が長引いて再赴任のメドが立たない中、小野のNCB駐在員、担当としての任務は終了することが決定した。
「正直、ブラジルでもっとやりたいことがありました。あと1~2年、いたかったというのが本音です。でも、仕方がない。できるだけのことはやりましたし、次のステップへ進もうと思います」

新しい配属先は、日本国内の農業市場へ向けた営業だ。担当するのは千葉県。南米全体に比べると小さな担当範囲ではある。
「仕事の難しさやおもしろさが小さくなるわけではないと考えています。困っている農家さんはきっといるはずなので、どういう提案をしていけるか。そこにもまた事業をつくるような仕事があるんだろうと思います」
きっと、小野は新たな提案をするだろう。ブラジルで困っている農家に向けてタルガという農薬を提案して復活させたように。
「これまでいくつかの立場で仕事をしてきて、基本は共通しているのではないか、と思い始めています。課題を見つけて、それに対して何ができるかを考え抜く。いろいろな人たちの力を借り、一緒にそれを実現する。たとえ国が違っても、扱う製品やテーマが違っても、同じなのかもしれませんね」
小野はそうして、営業から事業を創ってきた。そして、これからも創り出していくはずだ。