
生物科学研究所で農薬の研究をするハディアン・ペルマナは、インドネシア出身。
縁あって、日本の会社で研究者生活を続けている彼は、日本で研究者として仕事をすることについて、どう思っているのでしょうか。
生物科学研究所で、彼にこれまでの経験や、いまの気持ちを聞いてみました。
聞きに行ったのは、人事部の村梶春香です。

私が大切にしていることと
一致してる

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インドネシア育ちのハディアンさんは、どうして日本に来て、日産化学に入社したのですか。
ハディアン
以下
「ハディ」最初に日本に来たのは2010年です。短期留学プログラムで1年間、東京農工大に来たんですね。
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それまではずっとインドネシアで?
ハディ
インドネシアって、たくさん島があるんですけど、私が育ったのは、ジャカルタと同じジャワ島にあるバンドーンという街で。
-
バンドーン。ごめんなさい、知らないんですけど、どんな町ですか?
ハディ
ジャカルタから150キロぐらいのところにあって、けっこう都会。だから私、シティボーイです(笑)。ずっと地元で育って、地元の大学に行って。
-
じゃあ大学院から日本なんですね。どうして日本に?
ハディ
初めから日本と決めてたわけじゃないんです。子どもの頃から海外に行きたい気分はありましたけど、大学で生物学を勉強した時に、ドイツか日本にいきたいと思ったんですね。どっちも科学技術がすごいと思って。専門が生物学だから、医療か農業かへ行きたいなと思っていて。
-
生物学を活かしていこうとは決めていたんですね。
ハディ
そうです。それでチャンスが来たんです。友だちが、日本の短期留学の募集来てるよ、って教えてくれて、じゃあちょっと行ってみよう、という感じでした。
-
ちょっと日本へ、だったんですね(笑)。どうしてそのまま日本に残ったのですか。
ハディ
短期留学の時に地震があったんですね。
-
え!? 2011年の東日本大震災の時、ハディアンさんは東京にいたんですね!?
ハディ
いました。震災が起こったとき、インドネシアや他の国だとカオスになると思うんですけど、東京では、お互いに助け合い、リスペクトしあっていて、驚きました。ふだんから研究だけでなくて、日本人の性格とか、毎日の働き方とか、日本人の人間性が魅力的だなって思っていて。日本に残りたいという気持ちになったんです。
-
それで日本の大学院に進んだ、と。ハディアンさんは、その後、ドクターにも進んで、大学院で5年間、研究したわけですよね。
ハディ
マスター修了した後に、まだ日本語の能力が低くて、どうやって就職するのかもわからなかったんですね。奨学金が取れたのもあって、ドクターに進んだんです。
-
ドクターの後、アカデミアに進むことは考えなかった?
ハディ
その気持ちも、ちょっとありました。進路にはすごく悩んでたんですね。私、自分の研究は、できるだけ他の人たちに使ってもらう、自分の努力とか学んだことを、できるだけ社会に適用したいという気持ちがあったんです。で、ドクターではDNAとかRNAの基礎的な研究をしていたんですけど、アカデミアだと、何だろうな、自分の研究が社会に出るにはすごく時間がかかるので、企業の方が向いているなと思って。
-
けっこう悩んだんですね。
ハディ
その……。やっぱりお金もないし、給料もないし。インドネシアに帰るか、日本に残るか、他の国に行くか。ストレスで調子が悪くなるくらい、悩んでました。
-
そうだったんですか。たいへんでしたね。
ハディ
就職してから、この道は正しいとわかってきて、おさまってきたんです。
-
よかった。それで、どうして日産化学を選んだんですか?
ハディ
説明会の時に、研究にすごく力入れているって聞いて。いいな、と思ったんです。私が大切にしていることと一致してる。研究で、なんか役に立つものを創りたい。日産化学も同じこと考えてるから入りたいなって感じでしたね。

コミュニケーションは、
自分をよく知ることから

-
ところで、ハディアンさんって、どうやって日本語を学んだんですか?
ハディ
短期留学と修士課程の時に日本語の授業を受け、ある程度は身に付けていました。まだ日本語が得意とはいえない状態でしたが、大学院の研究室の先生への相談やゼミの時に、日本語でコミュニケーションを取ろうとチャレンジしたんです。研究室で日本語が上達できました。
-
あまりテキストで学ぶみたいなことはしなかったんですか。
ハディ
私、そういう勉強が苦手で。それよりはテレビですね(笑)。日本の映画見たり音楽聞いたりして。
-
楽しい勉強法ですね(笑)。さて、実際に日産化学へ入社してみて、どうだったんですか。
ハディ
最初、新入社員研修の日誌で困ったんです。何を書けばいいんだろうって(笑)。大学院のときには、アカデミアだけの日本語で許されるじゃないですか。
-
やっぱり社会に出て使う日本語は違いますよね。
ハディ
1年目のときには、コミュニケーションですごく困りましたね。
-
それは、どうやって乗り越えてきたんですか。
ハディ
まず自分のことがわからないとダメだなって思ったんです。コミュニケーションって、相手とすることですけど、その前に自分のことをよく理解しないとできないなっていうことに気づいた。自分のことが分かれば、コミュニケーションの壁とか、ある程度、解決策が見つかるかなって。
-
なるほど。でも、それって、もし日本に来てなかったとしても同じかもしれないですね。
ハディ
確かにそうですね。日本に来たから、よりコミュニケーションが難しく感じて、そういう本質的なことを考えたんですけど、日本に来てなかったとしても同じかもしれない。自分をよく知るって難しいです。それと、自分とも上手くコミュニケーションすることも必要だなって。自分のことをポジティブに考えるようになって、逆に他の人の気持ちがわかるようになったように思いますね。
-
今は、上手くコミュニケーションができるようになりましたか?
ハディ
まだ100%できているわけではないんですけど、少しは自分の意見をうまく表現するようになったかもしれない。
-
自分の良さ、持ち味を知ることで、より、相手を理解することができるようになった、というわけですね。
ハディ
そうかもしれません。あ、一つ、言っていいですか?
-
どうぞ、どうぞ。
ハディ
あの、ふだん会社で、私が外国人っていうこと、感じることがないんですね。自分が特別扱いされていない。それ、すごいよかったことです。飲み会のときにも、ふつうに扱われますね。私、飲めないんですけど(笑)。

ポジティブフィードバックが
ぜったい大事です

-
ハディアンさんは今、新しい農薬の開発に関わって、新規化合物の生物評価を中心に行っているのですよね。
ハディ
そうです。物質科学研究所から毎週、新しい化合物が送られてくるので、評価します。
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じゃあ、コミュニケーションの相手は、除草剤グループの中と、物質研の人たちでしょうか。
ハディ
あと、他のグループもあります。私は除草剤のグループなんですけど、殺虫剤と殺菌剤の候補化合物も評価します。逆に、除草剤の候補は、殺虫殺菌剤グループにも評価してもらう。
-
それは、より可能性を拡げようという意図ですね?
ハディ
たまに、殺菌剤の候補の化合物なのに、除草剤として活性が高い、みたいなことがあるんです。なので、除草剤グループと、他のグループと、あとは物質研と、コミュニケーションします。
-
コミュニケーションで、難しいと感じることはありますか?
ハディ
たとえば評価をして「この化合物はダメです」っていうときに、どうしてダメなのか、どうすればいいのかを、納得してもらえるようにしないといけないですね。どう伝えればいいか、どんなデータを用意すればいいのか、相手の研究者によって変わるので、工夫が要りますね。
-
グループのリーダーや、あるいは農薬研究部の部長とか、上司ともコミュニケーションする機会はありますか。
ハディ
あります。いろいろ報告をしたり、アドバイスをもらったり。
-
そういうとき、気を付けていることってあるんですか。
ハディ
何だろう、変にプライドを持たず、ありのままでコミュニケーションするほうがいいと思います。よくない資料でも、ダメだったらダメでいろんなアドバイスをもらえる。なんかちょっとカッコよく見せるような資料だと、逆にアドバイスとかもらえないから、次へ進めないんです。
-
ハディアンさんには後輩もいますよね。どういうコミュニケーションを?
ハディ
はい、セルフスタート研修の指導者をしてます。大事にしてることは、やっぱり、研究者を育てることですね。その後輩に全部教えるんでなくて、50%くらいを教えて、この次どうするかを考えてもらうのが大事だと思います。全部教えると普通のテクニシャンを育てることになってしまうので。やっぱり研究者は、自分から考えて、自分から実行できるのが大事だと思うんですね。
-
すごい! いい先輩。
ハディ
あと大事にしているのは、ポジティブフィードバックですね。これは大学院の時から感じていたんですけど、日本の社会って、ポジティブフィードバックが少ないと思います。
-
あ、そういう意見は、これまでも聞いたことがあります。
ハディ
いいときに、「いいね」で終わっちゃう。「なぜこれがいいのか」って教えるのも大事だと思うんです。たとえば、私の後輩だったら、すごく情報の収集力が高いです。きっと私の三分の一くらいの期間でできる。すごいなと思って、直接言ったりとか、コメントで書いたり。
-
研究者を育てるためにも、ポジティブフィードバックが大事だと。
ハディ
私も上司と話すときに、直接、聞くようにしています。何かよかったとしたら、「私はここまで何がよかったんですか」って。ダメなことも聞くし、いいところも聞くんです。今のグループリーダーが、ハッキリ言ってくれるので、すごくやりやすいですね。

日産化学、
いろいろ成長できるよ

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さて、農薬の開発では、たくさんの化合物を研究して、製品になるものはほんのわずかなわけですが、ハディアンさんの担当している化合物から、可能性のあるものは出てきているんですか?
ハディ
ひとつ、水稲の除草剤で、可能性のある化合物があります。まだいろいろ課題があるんですけど。でも逆に私は、ずっとスムースだと不安になってくるんですね(笑)。なんか課題あると、どうやって課題を乗り越えるかなと考えて、おもしろいです。
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水稲であれば、東南アジアもターゲットになりますよね?となると、アジアの国で試験をすることもある?
ハディ
主にベトナムとフィリピンで試験しますね。ベトナムには、日星ベトナムという日産化学の関連会社があって、試験がやりやすい。
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そうした方々とのコミュニケーションは英語ですか?
ハディ
英語が主ですね。でも、アジアの人たちと英語を使うのも難しいです。ベトナムには日本語みたいに敬語があるので、英語で話すときも気を遣いますね。フィリピンはアメリカみたいにフランクなので少々のことを言ってもOK(笑)。コミュニケーションにはそれぞれの国の文化を知ることも必要ですね。
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へえ、なるほど。やはり、相手の文化や背景をよく知ったうえでコミュニケーションをすることが大切なのですね。
ハディ
アジアの国に行って、研究者や農家さんと直接話すのはいいですね。インスピレーションが湧きますし、モチベーション上がります。自分が研究しているものが使われるイメージもできます。最終的なイメージをすることは大事だと思うんです。
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最終的なイメージ、目標はやはり上市ですか?
ハディ
上市できるような農薬を作りたい。それが目標です。水稲用だと東南アジアでも使われるものになるので、できればインドネシアでもたくさん使ってもらえる農薬ができたらいいですね。
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最後に聞きたいんですけど、今ここに外国人の学生が訪ねてきて、「日産化学はどうですか?」と聞かれたとしたら、どう答えますか?
ハディ
「日産化学、いいですよ。いろいろ成長できるよ」っていいますね。
どうやって新しいものを創るのか、常に考えなければいけないんで。世界にまだないものとか、世界を良くするものを創ろうとするのだから、自分がたくさん学ばないといけないですね。それで、プロジェクトを進めるときに、簡単に進まないわけですけど、どうやって課題を解決するか、やってみるのも成長できると思うんです。 -
なるほど、ハディアンさんにとっては「成長」がキーワードですね。
ハディ
自分が、ずっと成長したい、チャレンジし続けたいと思っていて、日産化学に入ったら、1年目からずっとチャレンジして成長してこられた。だから、私は日産化学と一致してますね。
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もう一つ、「一致」もハディアンさんのキーワードですね(笑)
ハディ
あ、そうかもしれないです(笑)。
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