工場を仕事場にしたら、
人生はどうなる!?

小野田工場


山口県の南西部にある山陽小野田市。
その南部の瀬戸内海に面した地域にあります。
東西1,000m、南北400mにわたり、
面積は245,965㎡。
東京ドーム約5.5個分、富山工場に次ぐ広さです。

約300名が在籍、人数の面でも
日産化学で2番目に大きな工場です。

大きすぎず、小さすぎず、
ちょうどいい規模の工場です。
皆さんの顔が見えるので、
いいですね。
小野田工場
化工系エンジニア
I(神奈川県出身)


塩酸吸収塔
1891(明治24)年、日本で初めて炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)を製造する工場として開設されました。
以来、130年以上という日産化学の中で最も長い歴史を持つ工場です。
当時は地元の起業家 豊永長吉が創業した日本舎密製造という会社でした。
豊永は、別の事業で、日本近代資本主義の父 渋沢栄一と出会います。
その交流が、後に、渋沢の興した東京人造肥料と、豊永の日本舎密が統合することへとつながり、今日の日産化学を形づくりました。
炭酸ソーダ製造には大量の塩を必要とします。
山陽小野田市のある瀬戸内は製塩業が盛んで、塩の入手がしやすかったことが、
小野田工場の立地の理由の一つでした。
日本舎密の炭酸ソーダ製造は、ルブラン法炭酸ソーダ製造装置で行われました。
装置の一部である石づくりの塩酸吸収塔が、130年を経た今も保存され、
日本化学会による化学遺産第004号に認定されています。
また、日本で初めて農薬を生産した工場でもあります。

小野田工場は、農薬・動物薬・医薬のプラントを擁し、
日産化学のライフサイエンス事業の中核工場といえる存在です。
農薬では殺虫剤・殺ダニ剤・除草剤など、
医薬では血圧降下剤、高脂血症治療剤などを生産。
他にも、電子材料として使われる
ファインケミカル製品もつくっています。
多くの製品が、日本だけではなく、
広く世界各国へ向けて送り出されています。

世界100カ国以上で使われる動物薬となる。

自分たちの生産した製品が、
世界中で使われるのは、
やりがいがありますね。
小野田工場
電気系エンジニア
F(福岡県出身)


プラント一つひとつの規模はそれほど大きくはないので、
少人数で担当し、若手のうちから責任ある仕事を任されるのが特徴。
中規模のバッチプラントや連続プラントなど、
さまざまなタイプのプラントがあり、生産技術職は、
多様な経験・知見を積みながら成長していくことができます。
また、新しい製品の生産を立ち上げる機会が多いのも魅力の一つ。
日産化学のライフサイエンス分野には、
世界的な需要増で増産に取り組む製品も多く、
農薬分野では新製品の創出も盛んに行われているためです。
それらに応じて、プラントを新設・増設するプロジェクトも、
ひっきりなしに実施されます。
プロジェクトには若手エンジニアも登用され、
プラントを一から自分たちの手で創り上げる、
たいへんさとやりがいを味わっています。