My Never-ending Chemistory

B to Bを基本としている日産化学のビジネスの中にあって、農薬の事業は少し毛色が異なる。“日産化学の農薬”として消費者、すなわち農家のところへ届けられるからだ。その意味ではB to Cの面を持つと言えるが、ビジネスの流れとしては、各地の特約店などのパートナーと取引をするB to Bである。国内営業担当は、日本の各地域を担当し、ビジネスパートナーと消費者の両方を見ながら、農薬の拡販に邁進する。その仕事についてD.Y.に聞いた。

子どもの頃から生き物、中でも虫が好きだった。実家の周りは田畑ばかりで、いつも虫を捕って過ごしていた。農学部に入り、さらに大学院に進むときに、虫を純粋に研究するだけではなく、世の中の役に立つ研究がしたいと思い、害虫の研究に取り組んだ。具体的にはハダニの研究。天敵であるカブリダニを使ってハダニを制御する取り組みを、地域と協働して行った。好きなことをして人の役に立てるかもしれない、という可能性を感じた。日産化学の生物科学研究所に見学に来たとき、興味を持ったことについて質問すると、想像以上の答えがどんどん返ってきた。すごく熱意を持って研究に取り組んでいる人が多い。そう感じたのが入社の決め手になった。

入社後は、その生物科学研究所に配属となり、希望通り殺虫・殺菌剤グループでの研究が最初の業務となった。候補となる化合物を担当すると、シャーレの試験からポットの試験、それから圃場の試験と、段階を踏んで自分でプランを組んで試験を進めていく。日産化学では、研究をステージで分業しすぎることなく、化合物をずっと担当していくことが多い。だからキャリアが長くない私でも、さまざまなステージを経験し、研究が進んでいく喜びや達成感を得ることができた。また、エリアによって害虫が異なるので、日本各地の圃場へも出かけた。やることなすことすべてが新鮮で、よい経験になった。

そんなとき、営業部への異動を打診された。研究職志望で入社した人間にとっては青天の霹靂かもしれないが、もともと私は営業志向を持っていた。上司と食事にいくような機会にも「自分が研究に携わった化合物が上市されたら、それを持って営業に行きたい」などと夢を語っていた記憶がある。自らが関わった化合物の上市はまだまだ先だったが、異動の辞令を受けた瞬間、先輩たちの創り上げた農薬を世の中に送り出す仕事にチャレンジしたい、という気持ちが強く湧いてきた。

大切にしていること

新しい農薬を担当できるのは幸せなことだと思う。新製品が出せなくて苦労しているメーカーも多い中で、それだけ日産化学の研究所ががんばっている表れだからだ。研究所の先輩たちが、長い時間をかけて新しい農薬を生み出しているのを見てきたからこそ、それを市場に拡げるのを託された営業担当として、しっかり成果を出していきたいと思う。

営業に移ったものの、最初は分からないことばかりだった。何をどうすればいいのか、一から聞いて、教えてもらうしかない。幸い、周りには親身になって教えてくれるベテランの社員が多かった。それでも、すべてのことを指示されたり、チェックをされたり、ということはなく、自分なりに計画を立てることを求められた。それに対してアドバイスをもらいながら、進めていくのだ。

農薬の営業は、基本的には1年サイクルで動く。農閑期である秋から冬に営業を仕掛けていき、春からのシーズンで使ってもらう。私は甲信越のチームに入り、その中でも長野県を中心に受け持った。私たち営業担当は、直接農家へ赴き販売するスタイルではなく、地域の特約店と協働する。例えば特約店と一緒に、製品説明会や新製品の試験圃場見学会を企画して、農家に集まってもらう機会をつくるのだが、1年目の私は受け身に終わってしまった。特約店から「こういう集まりを企画したから来てほしい」などと、どんどん連絡が入り、それに応えていると予定が詰まっていき、あっという間に1年が過ぎたというのが正直なところだ。1年やってみてだいたいの流れがわかった。2年目からは、自ら動き、仕掛けていくようにしたいと思っている。

長野県は、水稲はもちろん、りんごなどの果樹、レタスなどの高原野菜と、幅広くさまざまな作物が作られており、除草剤、殺菌剤、殺虫剤とバランスよくいろんな製品を扱うことができる。農場のスケールも大きい。営業担当としてすごくやりがいを感じる環境だ。研究職の時は、製品の上市という10年20年先の遠い目標に向かっていたが、営業は目標がすぐ先にあり、ハッキリ数字として見えている。“こうすれば数字が動くのではないか”と考え、具体的に行動していくのは、私には合っているように思う。

私を取り巻く環境

研究所に入ったときに「自分の色を出せるようにしろ」「そのための環境を自らつくりだせ」と言われた。人に言われて動いているだけではなく、自分で考えて、自分なりの動き方をつかんでいけ、そして周りを動かしていけ、というような意味だと思う。今、営業を担当してこの言葉をかみしめている。営業でいかに自分色を出していけるか、チャレンジしていきたい。

営業担当として2シーズン目、最大限注力するのは新しい製品、しかも自分が研究に携わった“あの”化合物を主成分とする製品だ。日産化学では今シーズン、まさしく当用期前にこの新規殺虫剤を投入する予定だ。それをいち早く特約店に認めていただき、できるだけ多く農家の皆さんに手に取って使用していただくことが、一つの大きな目標だ。

「防除暦」というものがある。作物の栽培体系に沿って、使用する農薬や、散布時期、散布濃度等が詳細に記載されている表で、いわば農家の仕事のカレンダーだ。地域の農協が作成して農家に配布することが多い。つまり、そこに記載される農薬は、スタンダードと認められていることになる。防除暦に採用されるには、その地域の関係者に、これは良い農薬だと認めてもらうことが必要。そのためには、現地での圃場試験を設計実施してきちんと評価いただき、その結果から暦対象作物の病害虫防除にどれだけ貢献できるかをしっかりキーパーソンに伝えて新規採用まで持っていく。それを仕掛けて動いていくのも、営業担当の重要な仕事だ。

農学出身の営業担当として、私の強みは何だろうと考えると、やはり農学の知識と、研究所での経験だ。その農薬の良さを伝えるときに、自分の知識・経験を織り込むことで、違いを出していきたい。効き方の細かな違いなど、本当に現場の人たちが知りたい情報を伝えることで、信頼を得ていきたいと思う。見回してみると、日産化学では農学系出身の営業担当の先輩も多く、みなさんがそれぞれのスタイルを持って活躍している。私もこれから自分なりの色を出していきたいと思う。

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新しい農薬を
日産化学の顔となる製品に育て、
自らも成長したい。