My Never-ending Chemistory

アンモニアと、それから生まれる硝酸、尿素などの基礎化学品は、日産化学が昭和初期から生産を続け、日産化学をささえてきたのはもちろん、日本のさまざまな産業を支えてきたといって過言ではない。そうした基礎化学品の営業とは、どんな仕事なのか。H.M.は、いわゆる“営業はものを売る仕事”という見方には収まらない仕事だ、と語る。

私の現在の仕事について説明するには、まず、私が入社以来経験してきたことを話す方がよいと思う。
入社後の最初の配属は、山口県の小野田工場だった。小野田は、農薬の主力工場だ。本社の農業化学品事業部から、この製品をいつまでにこれだけつくってくれ、という要望が来る。だが、それを製造課にそのまま伝えていたのでは仕事とは呼べない。製造現場にも都合がある。プラントの稼働状況や操業員の人的パワー、原材料の在庫や仕入れ状況など、さまざまなファクターを見ながら、本社も製造現場も納得できるような生産計画をつくる。もちろん最初は全然できなかったが、1年近く経つと、本社や製造に対して「こういう要望をもらったが、こうするほうがいいのではないか」といった提案ができるようになってきた。
今思えば、入社早々の若手にはたいへんな仕事だったが、そのぶん鍛えられたし、生産現場である工場を身をもって知ることができたのは財産になっている。
工場を3年経験した後、私は本社の医薬品事業部に異動した。担当業務は事業推進。なかなか説明が難しいのだが、一言でいうなら“つなぐ”仕事だ。事業部の中心的な役割として、事業部と研究所、工場をつなぐのが役割。さらに、損益を管理するので、本社の財務部ともつなぐし、販売面では取引先の製薬メーカーともつなぐ。事業部には、医薬系のドクターやマスターで、研究所を経て来た管理職ばかりだ。そんな中で、事務系である私が、財務面や販売面などの業務を一手に引き受けて“つなぐ”。
よく日産化学の事務系は少数精鋭だというが、中でも医薬品事業部は、日産化学の中ではそれほど組織の規模が大きくないこともあり、想像を超えて少数精鋭。そんな環境の中で力を付けることができた。

3年ほど経った頃から、「これからどうしたい?」と上司に問われて話をすることが増えた。日産化学ではキャリアについて本人が自己申告できる制度があるが、制度だけにとどまらず、若手のキャリア構築を親身に考えてくれる風土がある。上司や先輩に話を聞くうち、工場総務と事業推進を経験した私は、次に営業をやるのがいいのではないかと考えるようになった。

大切にしていること

就活では、金融や商社は受けず、メーカーが中心。今思えば、ものづくりをしている会社、中でも社会を支えるものをつくっている会社に惹かれていた。非鉄金属や電線、化学といった、広く使われる素材のメーカーを中心に考えるようになり、その中から日産化学を選んだ。決め手は、候補とした会社の中で、文系の果たす役割が一番大きそうだったこと。ものづくりの会社を選んだことは私にとって正解。“少数精鋭”の事務系社員のひとりとして、ものづくりの誇りを胸に、仕事に取り組むことができている。

化学品。中でもアンモニアなどの基礎化学品は、日産化学が昭和初期から生産を続ける祖業だ。それをやりたいと上司にいったら、そのまま受け入れてもらって異動が決まった。私は基礎化学品営業部でアンモニアを担当することになった。

アンモニアは、それがなければ社会がまわらない、という製品だ。日産化学の販売先は、電力会社や、化学メーカー、鉄鋼メーカーなど、国を支える大手企業が中心。たとえば火力発電所では、アンモニアがなければ発電ができない。
必需品だけに、安定期には変化の少ない仕事だと思われるが、日本のアンモニア業界では、長い変革期が続いている。アンモニアから生産される誘導品の需要変動を受け、日本のメーカーは徐々に撤退をしていき、かつては7社8工場であったが、現在では国産アンモニアメーカーはわずか4社4工場となった。
日産化学のアンモニア事業も、もちろん楽な状況ではない。国際的な価格競争にもさらされる中で、原料価格や運送費が値上がりをしているのだ。だが、日産化学の富山工場では、大きな投資をして、アンモニアの原料をナフサから天然ガスに切り替える大手術を行い、より効率的にアンモニアを製造して提供していく体制を整えた。国産アンモニアの火を消さないという意思表示をしたのだ。
そんな中で、基礎化学品営業部に配属になった私に、上司は言った。「君のミッションは利益を出すことだ」

私を取り巻く環境

医薬品事業部から化学品事業部へ異動する間に、私は、「語学留学制度」を活用してイギリスへ行った。どこにも属さない異動のタイミングであれば、数カ月間、日本を空けやすい。そう思って異動とセットで自己申告をしてみたら認めてもらえたのだ。おかげで、イギリスのブライトンにある語学学校に滞在して、ビジネス英会話力をつけることができた。日産化学では、積極的にやりたいことに手を挙げれば、どんどん認めてもらえる。いい風土だなと思う。

取引先とは、 数十年に及ぶ取引関係であることが多いアンモニア事業を、利益を出せる体質に変えるためには、どこにメスを入れるべきか。売上だけでなく最終利益に至るまで、アンモニアの利益構造を細かく見直していった。そして至った結論は、その数十年もの間、“常識”、“前例”として続いてきたモノの流れや取引の流れがあり、それ自体を変えてしまうこと。私は、今の時代に即した効率的な方法を考え、提案をすることにした。

相手にとっても日産化学にとってもメリットがある方法は何か。考え、提案をしていく。いくらよい提案でも、相手は巨大企業が多く、長く続いたやり方を変えるのは簡単ではない。そこは粘り強く取り組む。そうすると、とても動きそうになかった巨石がゆっくりと動きはじめる。この仕事、やりがいがある。というよりも、やりがいしかない、と思う。

アンモニアは、私の担当だけで数十億という大きな取引額となる。といえば、チームに大勢の部下を抱えていると思われるかもしれないが、実は私ひとりだ。
中間流通を担う卸会社の営業担当を集め、今年はこういう方針で行きたいと話をして、そのように動いてもらう。運送会社もマネジメントする。このように運んでもらいたいと希望を伝えて、それに即したよい方法を提案してもらい、私が決定する。

そうして動きながら、私がやっているのは、事業のデザインであり、マネジメントであり、コントロールなのかもしれない。そして今の最大のテーマが、“事業の利益構造の改革”なのである。いわゆる営業という名前からイメージする内容ではない、この仕事に、私は大きな魅力を感じている。

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製品を売るというより事業全体のマネジメント。
その力を、もっと高めていきたい。