My Never-ending Chemistory

強みである生物評価と精密有機合成の力をフルに活用し、創薬と原薬製造に特化する、日産化学の医薬研究。独自性の高い化合物を創出し、その価値を最大化するのがミッションだ。その中で、そして現在ADME(薬物動態)を担当するR.I.は、活動の根幹をどのように捉えているのだろうか。

大学・大学院で扱ったのは細胞だった。動物は複雑で生体反応のレスポンスを拾うのが難しいが、細胞は薬に対する反応をダイレクトに確認できる。ちょっとしたことで死んでしまったりもするが、小さくてもしっかり生きている。そんなところがおもしろくて細胞を使った研究に熱中していった。

修士課程では、腫瘍の悪性化メカニズムの解明などをテーマに国立がんセンターへ出向し、自分なりの研究をひと通りやりきった。がんセンターには、異分野の先生も集まっていて、世の中にはがん以外の病気で苦しむ人が多くいることも改めて知った。その人たちを救うために自分の身につけたテクニックを活かしたい。そんな思いを持って日産化学の研究所に見学に来たとき、強いモチベーションで創薬研究に挑む人の姿に強く共鳴した。この人たちと一緒に働きたいと心から思ったのだ。

日産化学の医薬品事業は、最終製品までは手掛けない。創薬と原薬の製造に特化しており、いずれはライセンスアウトすることが前提となっている。他社に買い取ってもらうためにはピカイチの性能を示さなければならない。極めて難易度の高い仕事だ。だからメンバーは一人ひとりが相当に意識を高く持って研究に取り組んでいる。チームは少数精鋭、ベンチャーのような雰囲気の中で日々、切磋琢磨している。

大学で学んだこと

がん細胞を対象に、特定の刺激に対して発光シグナルを出すような細胞を作成。この細胞を動物に移植し、腫瘍が発育する過程での変化を発光シグナルによって経時的にモニタリング。がんの転移や悪性化のプロセスの解明に取り組んだ。

入社当初に配属されたのは薬理グループ。その中の原薬探索を行うセクションで貧血、リウマチを担当した。具体的な業務としては、細胞を用いた一次スクリーニングを入社2カ月目から任された。新人にそこまで一任するのかと驚くと共に、責任の重大さを感じた。

今はADME(薬物動態グループ)に移り、化合物が生体から受ける影響を調べている。いきなりin vivoで薬剤のアクションを追跡するのは難しい。まずin vitroで吸収過程を予測するためのアッセイ系を考え、吸収・代謝に関わるパラメーターを設定する。ここで得られた知見をベースに、in vivoで得られたデータを吟味して検討する。

分析の際には数学モデルを使う。パラメーターを入れるモデルを構築し、in vivoでの結果を予測する。ただし経口吸収、つまり小腸から体内に薬物が吸収される過程は、予測難易度が極めて高く、創薬において今とてもホットな領域だ。チームでも熱くディスカッションすることもめずらしくない。先輩後輩や上司などのポジションには関係なく、コミュニケーションの取りやすいチームだなと思う。

私を取り巻く環境

昼休みにはフットサルをしている。いろいろな研究部からメンバーが集まり、けっこうガチ。相手が部長であっても本気で削りに行くのが礼儀になっている。良い気分転換になっていて、汗を流さないと午後の仕事に集中できないほどだ。

現在関わっているのは、不整脈や心房細動などの循環領域。その他に、私が強い関心を持っているのは疼痛領域だ。痛みを抑える薬物の評価は難しい。例えば薬物をどこに作用させるのか。脳に効かせるのか、末梢の神経に効かせればよいのか。疼痛そのものも多様で、がん性のものがあれば、糖尿病で痛みが出ることもある。確実にいえるのは、疼痛がQ.O.Lを低下させること。死に直結するリスクはなくても苦しんでいる人は多い。それにどうにか役立てないかと常に考えている。さらに言えば神経領域全般にも目を向けている。たとえば神経の変性疾患やアルツハイマーなど、チャレンジングなテーマに取り組んでいきたいし、いかねばならないと考えている。

私は、薬理からADMEに異動になった。薬理の時は、ただひたすら“効く薬を作りたい”としか考えてなかった。ADMEに入ってからは、“安全で安定で効く薬を作りたい”と考えるようになった。よりハードルは高くなったが、視点が広がった。創薬にかけるパッションが高まっているのを感じている。

My Never-ending Chemistory

思い通りのデータが出なかったときこそ、
解明してやるぞ、と火が付く。
そこにチャンスがあるはずだから。