My Never-ending Chemistory
研究開発 (化学)
医薬 物質科学研究所 医薬研究部
研究者が
身につけてきた
“チカラ”とは。
日産化学は、独自の創薬基盤技術を持つが、そのベースとなっているのが“有機合成のチカラ”だ。H.T.は、厳しい競争が繰り広げられる医薬品研究の最前線で、化学メーカーの研究者という立場から、核酸医薬の研究開発に取り組む。“有機合成のチカラ”、さらに“研究開発を推し進めるチカラ”を武器に新薬の創出をめざすH.T.の歩む道をたどってみよう。

高校生の頃から、広く科学に興味があり、サイエンスクラブでロボットをつくったりしていた。今思えば、“世の中の役に立つ、何か新しいモノをつくりたい”という漠然とした思いがあった。高校の化学の授業で応用的な実験をした時、化学なら、世の中の役に立つモノの、基になるモノを創り出すことができそうだと感じ、大学での専攻は化学を選んだ。
入学後、最も強く惹かれたのが有機合成化学だった。学問としておもしろいし応用の可能性も拡がっている。そこで大学院では、全合成での研究業績を上げている研究室に進み、有機合成の専門性を高めることを決意した。
研究室では、新しい反応を使って、医薬品の基になる化合物を創る研究に取り組んだ。非常におもしろく、熱中する日々を過ごしたが、強く記憶に残るのは再現性が取れずに苦労したことだ。一度うまくいった反応が、次にはうまくいかない。
“いったいなぜなのか”。
原因を追究するために、反応条件の定量化を目指した。たとえば結晶構造を解析するなど、反応に対する理解を深めていく。一つ一つ課題をクリアして、最終的には論文にまとめ学会発表をすることができた。こうした経験から、ほとんどが失敗の連続である研究活動の中でも、粘り強くゴールに向かって進んでいくチカラを得ることができたと思う。
大学院以降の進路は民間企業に決めていた。大学に残るよりも、少しでも早く、新しい製品をつくって世の中に貢献したいという思いがあった。「身につけた有機合成のチカラを使って、医薬の研究開発に取り組めたらベストだなあ」と思いながら会社を探したら、ピッタリの会社に出会った。研究開発に力を注いでいて、中でも有機合成の技術が高く、医薬品の研究にも取り組んでいる会社。それが日産化学だった。

大学で学んだこと
大学の研究室の教授は、厳しかった。研究がうまくいかないとき、何が原因なのか、どうすれば改善が考えられるか、ロジカルに突きつめることを求められた。そうした指導を受けながら、主体的に計画を考え、解決の糸口を一つ一つ見つけ出していく日々は、私にとって楽しいものだった。研究に没頭した結果、新しく発見した全合成が基質一般性を有する反応であることを実証することができた。そうした技術や分析力を身につけることができたのも、「プロの研究者として創薬研究に挑戦したい」という想いを持つことができたのも、あの研究室での日々があったからこそだと思っている。

入社後、最初の約7年間は低分子医薬品の研究に携わった。最初に感じたのは、先輩研究者たちの力量だった。大学院時代に厳しい研究室で鍛えられた自負はあったが、企業では、安全性や法規制などへの対応のレベルがまったく異なり、さらに社内外で協働する相手も多い。そうした中で、研究計画を立てて着実に実行していく力量、いわば“研究開発を推し進めるチカラ”で、先輩たちは段違いだった。早くそうしたチカラを身につけたいと思った。
低分子医薬品の研究では、糖尿病や感染症の治療薬など、複数のテーマに取り組んだ。特に印象に残っているのは、ある感染症治療薬の開発プロジェクト。製薬会社との共同研究で、3年にわたって取り組んだ。可能性のある化合物を見いだし、薬としての有効性や安全性を高めていく。最終的には新たな安全性の課題が見つかり医薬品にはならなったが、製薬会社と協働するためのノウハウを得ることができた。
その後、基盤技術開発にも携わった。社内の生物科学研究所に設置されている「化合物ライブラリ」の設計と構築だ。これは、新しい創薬テーマを開始する際に、候補となる化合物を効率的に探索するための仕組み。創薬でのいくつかの指標から、化合物を大規模に集めていく計画を立て、実行していく。この経験を通じて、個別の創薬研究とは異なる視点で、研究全体を俯瞰して見るチカラが身についたと思う。

私を取り巻く環境
核酸医薬の研究では、製薬会社やアカデミアなどのさまざまな人々と協働している。そうした機会では、“創薬に特化した化学メーカーの研究者”という自らの立ち位置のユニークさを感じることが多い。日産化学は、業界をリードする農薬研究部を持ち、機能性材料や医療材料の研究開発でも独自製品を生み出すなど、さまざまな有機合成の技術を持っている。また、社内にはさまざまな知見があり、たとえば機能性材料の研究を医薬のドラッグデリバリーシステムの研究に応用できる可能性がある。研究者としてそうした広い視野を持てることが、日産化学の良さだと思う。
2019年からは、核酸医薬の研究開発に携わっている。社内ではその数年前から検討が始まっており、私も興味津々に見ていたのだが、本格的なチームが立ち上がることになった際、参加したいと手を挙げた。
核酸医薬は、遺伝情報を利用して設計するため、従来の低分子医薬とは異なるロジカルなアプローチが可能。特に、遺伝性の希少疾患など、これまで治療が難しかった疾患に対する新たな治療法として期待されている。
現在の主な研究テーマは、製薬企業との共同研究での、ある疾患の治療薬開発だ。私たち日産化学は主に薬剤の設計や合成を担当し、製薬会社側で評価を行っていく。核酸医薬の開発では、コンピュータを使った設計が重要になるが、それでも実際に合成して評価してみないとわからない。計算では優れていると思われた化合物が、合成して評価するとダメだったということもある。そこが研究の難しさであり、おもしろさでもある。
同時に、核酸医薬の基盤技術開発にも力を入れている。コンピュータを使った設計の精度を上げるためには設計技術そのものの革新が不可欠と考え、技術シーズを調査したところ、独自の計算技術を持つアカデミアとの協働が有効ではないかと考えた。私から共同研究を提案し、現在、新しい薬剤設計技術の開発に取り組んでいるところだ。この技術がものになれば、より短期間で精度の高い医薬品候補の探索ができる見込みがある。
核酸医薬の研究を通じて感じる最も大きなやりがいは、自分たちが開発している薬が、遠くない将来に患者さんに届く可能性があることだ。通常、医薬が上市されて患者さんに届くまでには長い年月を要するが、核酸医薬は開発期間が比較的短いとされており、より早く患者さんの役に立てる可能性がある。一方で、核酸医薬研究の難しさは、まだ新しい分野であるため、“教科書”が少ないことだ。課題に対する解決策を自分たちで見つけていかなければならない。ただし、それは難しさであると同時に、研究者にとってやりがいでもあるのかもしれない。
私は、これからも創薬研究に全力を注ぎ、なんとしても患者さんに届ける新薬を創出し、市場に送り出したい。そして、日産化学が継続的に新しい医薬品を生み出していけるよう基盤技術を高めることにも取り組んでいきたい。
私はかつて、“世の中の役に立つ、何か新しいモノをつくりたい”と夢見て、化学の道に進んだ。その夢は今、具体的な目標となって、道の向こうに見えてきている。