My Never-ending Chemistory

工場に勤務する事務系社員は、生産技術職社員のように直接的にモノづくりを担当するわけではない。ではモノづくりに関わらないのかといえば、その逆だ。工場に配属となった事務系社員N.M.が就いたのは、生産管理という職種。メーカーの心臓部である工場において、製品の生産計画を立てるところから出荷までの管理を担う職種であり、製品を生み出すためのすべてのリソース、いわゆる“ヒト・モノ・カネ”に幅広く関わる。入社1年目のN.M.が任されたのは、メーカーの“製品をつくって売る”という存在意義を、根底から支える仕事だった。

就職活動を始めた頃の私は、今思えば何も知らなかったと思う。事務系の仕事と聞いて思い浮かぶのは営業職くらいしかなかったし、業界や企業に関する知識もほとんどなかった。そこで、まずは何も絞ることなく、いろいろな業界の企業へ行ってみた。金融や人材系など、形のないサービスを売る企業にも行って話を聞いてみる中で、メーカーの方が自分に合っているのではないかと考えるようになった。“事務系の仕事=ほとんど営業”と思っていた私が、どのような営業をやりたいかと考えたとき、新しい顧客をどんどん開拓して無形の商材を売る営業よりも、製品を通じて顧客とじっくりと長くお付き合いをしながら、よりよい製品を提案していくような営業のほうが合っているような気がしたのだ。
メーカーの中でも、私が惹かれたのは化学メーカーだった。さまざまな業界のメーカーに材料を供給する位置にいて影響力が大きいと聞いたからだ。世の中に広く使われる製品をつくって供給するのはカッコイイな、と思った。
化学メーカーと言っても企業の知識はなかったので、化学と名の付く会社に順番にエントリーをしていった。いくつも行ってみた中で、私にとっては、巨大な企業よりも適度な規模の企業の方が合っているのではないかと思い始めた。大きすぎない方が、担当する仕事の幅が広かったり、早くからいろいろな機会が持てたりして、成長につながるのではないか。そんなふうに考えて、日産化学に入社を決めた。
入社にあたっては、工場配属を希望した。総合職として化学メーカーに入る以上、一度は工場勤務をしてみたいという気持ちがあった。だったら早めに経験する方が、メーカーのモノづくりを間近に見て理解できるし、その後のキャリアも築きやすいのではないかと思ったためだ。その希望が通って、私の初めての配属は富山工場の総務部管理課になった。

大切にしていること

何度か予定外の事態に対応した経験から、私が大切に考えるようになったのは、“バランス”だ。原料調達から製造、出荷まで、どこかの段階が対応できても、どこかの段階が対応できなければ、製品を送り出すことはできない。すべてが揃って初めて、製品が生み出され出荷される。
私たち管理課は、自分で製造をするわけでも物流を担うわけでもなく、すべて各部署に依頼をして調整をする立場。常に全体を見てバランスを考えることで、製品を円滑に生み出すことができるのだと思う。

配属された私が担当になったのは、製品の生産管理だ。まず驚いたのは、飛び交う専門用語も資料に並んでいる数字も、何一つ分からなかったこと。わからないことが多すぎて、育成担当になってくださった先輩を何から何まで質問責めにしていた。優しい先輩たちに恵まれていたのは本当に幸いだった。

入社1年目はそんなふうに勉強期間として過ぎていくのかな、と思っていたら、配属から3カ月経った頃には、早くも一つの製品の主担当になった。スルファミン酸という製品で、金属やセラミックなどの洗浄剤や、医薬品の材料など、幅広くさまざまな産業で使われる基礎化学品だ。
その生産管理の主担当になるとは、私が製品づくりのハブになることだった。製品の営業を担当する本社の事業部から受注計画を受け、製造を担当する製造課のエンジニアと相談しながら、生産計画を立てる。それをもとに、プラントの操業員、物流を担当する関連会社など、製品に関わる部署や人に向けて発信をしていく。少し大げさにいえば、スルファミン酸の製造に関わる人たち全員が、私の立てた計画や私からの連絡をもとに動くことになる。思いがけない早さでそうした立場になった私は、責任の大きさに怖くなった。関わる多くの人たちに迷惑をかけないだろうか、自分の見落としや判断ミスで出荷ができない事態を起こしてしまわないだろうか。
心配は、さっそく現実となってしまった。私が在庫量の取り違えをしたため、出荷日の近づいていた受注分が在庫不足で出荷できないという事態を招いてしまったのだ。すぐに上司、先輩に報告した。先輩が本社の営業担当に連絡してくださり、営業担当はお客様と納品予定日を調整し直してくださった。私は製造や梱包や物流など、工場側の各所に連絡を取った。皆さんが予定業務の変更・再調整をして、カバーしてくださった。
十分に注意していたつもりなのに、何が足りなかったのか。私はチェックの仕方を工夫することにした。先輩からもらっていたアドバイスをもとに、より自分のものにできるよう改変して実行した。それ以来、同じ種類のミスは起こしていない。

それでも、予定外の出来事は、しょっちゅう起こる。たとえば、製造プラントでトラブルがあり予定通りの生産ができない、出荷のための梱包をするチームに人員不足の日ができて出荷量を確保できない、営業から入っていたオーダーが顧客の都合で納品延期になった、など。営業から「お客様から“この日までにこれだけの納品をしてもらえるか?”という相談が来て、受けたいのだが、対応できるか?」といった連絡が飛び込んで来ることもある。そんな時には、もちろんできるだけ実現できるように各所に連絡を取って調整を図る。
そうした出来事をなんとか乗り越えるたびに、自分の中で、新しい仕事のパターンが身に付く感覚や、キャパシティーが広がる感覚がある。そして、次の“予定外”が起きたとき、早く動き出せたりうまく調整ができたりすると、自分も少しは成長できているかな、と感じることができる。

私を取り巻く環境

工場の生産現場にはベテランの操業員が多い。面倒見のいい優しい方ばかりで、私のような若手が質問をしに行くと、「どれ、また新人が来たか」という感じで教えてくれる。困るのは、地元出身の方が多いので、時々、富山弁が聞き取れないことくらい(笑)。モノづくりを実際に担う操業員の皆さんに、円滑によい製品をつくってもらえる状態を整えるのも、私たち管理課の仕事だ。

入社から月日を重ねるごとに、私の仕事の幅は広がっている。
まず、担当するプラントが増えた。入社1年目の終わりまでに、スルファミン酸に加えて硫酸プラントを担当し、硝酸プラントも加わった。順調なときはともかく、調整を要する事項が重なったときには、なかなかの忙しさだ。そうした際には、プラントの製造担当であるプロセスエンジニアとのやりとりも盛んになる。その担当が同期入社の社員であることも少なくない。彼らも生産技術職の若手社員として大切な役割を任されているのだ。私も負けないように成長して力を合わせていきたいと思う。
そして、生産管理に加えて、予算管理の業務も担当し始めている。製品をつくるために、原料費や電力、物流のコスト、さらには人件費などがどのくらいかかり、一方でどのくらいの利益を生み出しているのか。そうした資料をまとめることで、一つのプラント、一つの製品をめぐって、どのように“ヒト・モノ・カネ”が動いているのかが見えてくる。難しい事柄も多いけれど、やればやるほど知識がついてきて、自分なりの分析ができるようになってくる。その過程が楽しい。また、そうした業務を通じて、本社の財務担当とやりとりをするなど関わる人が増えてきた。それによって、事務系にもいろいろな職種があることが分かってきて、将来へ向けて興味が広がってきている。
“この会社なら、担当する仕事の幅が広かったり、早くからいろいろな機会が持てたりして、成長できそう”。就活の時、そんなふうに感じた私の予想は正解、というより予想以上だった。そのことに驚きながらも、周囲の皆さんに支えられながら、少しずつできることが増えていく。そんな感覚の日々を過ごしている。

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仕事の幅の広さも、任され方も、予想以上。
自分ができるようになる過程が楽しい。